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2016.3.08 Manning 元NFL選手となる

昨日更新したManning引退記者会見速報版では、Manningのノーハドルオフェンスのような次々と放たれる言葉の嵐に対応出来ず惨敗を喫してしまったワタクシ。一夜明けDenver Post大先生のスピーチスクリプトで試合後のフィルムスタディのように反省する気持ちで、Manning引退会見全文やり直し版。
「僕のNFL最初の試合で、僕の最初のパス成功は殿堂入りRBのMarshall Faulkだった。最初のTDパスはこの八月に殿堂入りのMarvin Harrisonだった。相手のQBは父の次ぎに好きなQBのDan Marinoだった。この試合の彼の最初の3rdダウンのポストパターンの25yパスは僕が見たパスの中で最も素晴らしいものだったよ。僕はTEのMarcus Pollardにミドルパスをヒットさせたんだけど、誰かに強烈なヒットを食らったんだ。起ち上がった後に自分に”わかってる。このリーグでプレイ出来るんだ”って言い聞かせた。
新人年のこの辛いシーズン中に僕たちはBaltimoreの遠征試合に負けた。1984年にBaltimoreから移転(夜のうちに球団まるごと逃げ出すという夜逃げ移転だった)してからColtsが初めてBaltimoreで試合をしたんだ。あの日僕たちは歓迎されなかったよ。ファンは僕にヤジを激しく向けたけど僕は心で
”まってくれよ。その時俺は8才だったんだぞ。俺に文句言うな”と思ったよ。
それ以前にも会ったことはあったんだけどJohney Unitas(Baltimore Coltsの殿堂入りQB)と握手する機会があったんだ。
”Peyton。頑張ってプレイを続けろよ。応援しているからな”と言われたんだ。
実際僕はここまでプレイし続けたよ。18年間もね。19番(Unitaの番号)は天国で角刈り黒靴で僕のことを少しでも誇りに思ってくれていたらいいな。
18年という数字には何かしらの意味がある。18番はいい数字だよ。今日僕はフットボールから引退する。New Orleansとルイジアナには感謝したい。NOは僕の故郷だ。勿論彼らは自分達のチームも応援しているけどね。Saintsのことだよ(パパManningがプレイしていた球団)。でも彼らは市、州で僕を応援してくれた。
今から19年前に僕はテネシー大学にもう一年残ることを選択した。あれは僕の人生でも素晴らしい決断の一つだったよ。Noxvilleでの生活は素晴らしく特に4年の時は素晴らしかった。テネシー大のファンには彼らは僕の人生でとてもユニークな存在だったことを知っていて欲しいな。(Manning3年時テネシー大は全米チャンピオン。間違えたみたい。全米チャンピオンは卒業後らしい。3年時Manningはドラフトにエントリーすればトップ指名が予想されていた。大学に残り最後の年は全米チャンピオンにはなれなかったがManningは多くの記録を作り翌年Indyにトップ指名。前年のトップ指名はSt LouisでT Orland Paceだった)。
Indianapolis Colts球団と国中のColtsファンには感謝したい。僕がどれだけ14年間楽しんで、僕たち家族がどれだけ温かい気持ちを持って居るかは皆が想像を出来ないとほどだ。オーナーのJim Irsay、GM Bill Polian、偉大なコーチ達、サポートスタッフ、チームメイト。多くは僕の生涯の友だ。僕がColtsにドラフトされたとき、Indianapolisはバスケやカーレースの町だった。でもColtsが町や州をフットボールの町にするのには長い時間は必要なかった。
新人の年は3ー13で新人QBのインターセプト記録を作ってしまったよ。毎年新人QBにこの記録を破って欲しいと思ってるんだ。Andrew Luck、Matthew Stafford、Eli Manning、Cam Newtonとか応援したんだ。Eliは正直彼が16試合プレイしていれば記録を破っていたと思うんだ(Manning新人年、インターセプト18。Eliは9試合で9個)。
Indyでの最初は厳しく辛いものだった。僕の祖父が毎週尋ねるんだよ。彼の好きなJohn MaddenとPat Summerallが僕たちの試合を実況解説しないのかって。
僕は”PawPaw(南部方言 パパパパ お爺ちゃん)、僕たち2-8なんだよ。相手は3ー7のBengalsで、彼ら(放送トップチーム)はそんな試合は担当しないだよ”って言ってたよ。
2年目のシーズンは僕たちは少し手応えがあった。僕たちはTroy AikmanにEmmitt SmithやMichael IrvinにDion SandersのDallas Cowboysの対戦があった。PawPawに電話して
”MaddenとSummerallがこの試合を担当するよ”って言うと彼は
”信じられんな”と言っていた。PawPawは鼻高々で喜んでいたよ。僕たちはCowboysに勝利して世界にColtsの時代が到来したことを宣言したんだ。誤解しないでよ。その後に本当にColtsは上昇気流に乗り素晴らしいことを成し遂げたんだ。7年連続で12試合以上勝利しスーパーボウルにも勝ったんだ。本当に僕は誇りに思うしその一員であったことは光栄なことだよ。
こういう言葉がある。”彼を人として扱うこと、そうすれば彼は彼自身で有り続ける。彼がそう出来るよう扱うこと、そうすれば彼は彼がなるべく人間になれる”(アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマソンの言葉)。
4年前DenverにFA訪問したときにJon Ewayが
”Peyton、うちの計画はこうだ。まず今後50試合は勝つよ。4年連続地区優勝だ。地区内対戦では3回しか負けない。遠征では負け無しだ。PatriotsをAFC選手権で2回倒すな。君はNFLのカムバックオブジイヤーを取る。MVPも取る予定だ。君のオフェンスは年間最多パスを記録するし、他の記録も何個も破るよ。スーパーボウルにも何回も行く予定だ”って。そういう風に言ったから契約したんだと思うんだけど。(壇上下横に座るElwayを見て)John、確かにそう言ったよね?
Denver Broncosのことを考えると感謝という言葉が浮かんでくる。Pat Bwolenとその家族、Joe Ellis、John Elway、John Fox、Gary Kubiak、そしてスタッフ、偉大な組織の全てのサポートしてくれた人に感謝したい。Denverの全てのチームメイトにも。この年老いたQBのために皆がしてくれたことに感謝したい。もちろんどこにでもいるBroncosファンにも。
僕はキャリアを通して5人のヘッドコーチの下でプレイした。皆僕を高めてくれた。そして僕が良い人間になる手助けをしてくれた。Jim Mora、Tony Dungy、Jim Caldwell、John Fox、Gary Kubiak。チームは変わる一方で代理人はずっと一緒だった。Tom Condonは本当に沢山の恩があり本当に感謝している。彼はどんなときも上品でいてくれた。彼はこれからも常に友達だ。
僕のフットボールキャリア、高校時代からテネシー大、Indy時代から素晴らしいBroncosの先月のスーパーボウル勝利までの間僕を支援してくれたすべての友人に感謝したい。誰のことかはわかっていると思うし皆の存在はとても意味あるものだった。
家族の支えも大きく表現しきれない。母さん、父さん、兄Cooper、弟Eli、その家族達。妻のAshleyと子供達、MarshallとMosley。子供達とはまだ数年しかたっていないけど僕の人生を永遠に変えてくれた。スーパーボウル一週間前に娘Mosleyが
”Daddyこれが最後の試合なの?”と聞くから
”あぁシーズン最後の試合だよ”
”このトロフィーが欲しいの?”
”あぁそのために頑張っているんだ”
そしてMosleyはまた聞いてくるんだ
”Daddy、これが本当に最後の試合なの?”僕は驚いて首を振ったよ。思ったんだ、Chris MortensenかAdam Scheffterが僕の5才の娘を新しい情報筋に仕立ててるんだなって。
経験をし尽くせばもうそれを尊敬するしかなくなる。だから僕はフットボールには尊敬の念しかない。僕は試合を愛している。だから皆は僕が試合を恋しくなるのでは?などと疑問に思う必要はない。間違いなく僕は恋しく思うだろう。
僕の子供達はまだ小さいが、彼らの成長に合わせ、彼らには小さいことを楽しむことを教えたいと思う。いつか彼らがその小さいことが大きなことだと振り返ることが出来るようにね。
ここで当時は小さなことであったが今振り返ってみるとても大きなことであったものを挙げたいと思う。
IndianapolisのレストランSt. Elmo'sの試合勝利ごの食事が恋しい。僕の戦いの相手だった選手達、John Lynch、Ray Lewis、Zach Thomas、Tedy Bruschi、London Fletcher、Brian Dawkins、Junior Seau、Brian Urlacher、Troy Polamalu、Rodney Harrison、Charles Woodson、Ed Reed。そしてコーチ達も。Jeff Fishers、Rex Ryan、Bill Belichick、Monte Kiffin、Wade Phillips、Ron Rivera、Dick LeBeau、Marvin Lewis、故Jim Johnson。其の他のたくさんのコーチ達。僕は試合ではMLB、S、守備コーチとの戦いと感じていたよ。
センターのJeff Saturdayと一緒に相手のブリッツ攻略をしていたことが恋しい。Reggie Wayneとベンチで座ったり、Edgerrin Jamesとハンドオフフェイクを完璧にする努力も。Demayius ThomasがTDを投げる度に、愛してるって言ってきて僕にBroncosに来たことを感謝することが忘れられない。
Tom Moore、Adam Gaseと日曜のTDとなるプレイを練ること、金曜日に用具係と試合ボールを選ぶこと、試合前、後にメディアと話をすること、父さんと試合後に試合を振るかえることも、試合後Giantsの勝敗を気にして互いにバスに乗りながらEliと電話することも、全てが恋しい。
Tom Bradyとの握手が恋しい。53人のチームメイトと勝利の試合後に飛行機移動中ずっと通路に立ち続け笑い祝い続けることが恋しい。地元、敵地の大観衆の中でのプレイが恋しい。PatriotsのFoxboroのファンでさえ恋しい。彼らも僕をいつも負かしたから、僕のことを恋しくなるだろう。
もっとも重要なこと、あらとあらゆるところにいるフットボールファンには、皆の存在がどれほど僕に意味があったのか知って欲しい。フットボールの試合が素晴らしいというのはファンの存在が根本にあるからだ。僕はたくさんの手紙を皆が数えることが出来る以上にたくさん貰った。ファンレターはいつも僕を魅了した。考えさせ、笑わせ、そして何かの行動も起こさせた。
僕は間違え、失敗、敗戦から多くのことを学んだ。また試合というものは試合を越えたものを語りかけてくれるプラットフォームであることも学んだ。フットボールは僕に障害や挫折が人生を導くのではない、夢こそが人生を導くのだ、ということを教えてくれた。僕はフットボール家系であったからこのような教訓が今の僕、そしてこれからの僕の人生に大きな意味をもつことを理解している。
僕のフットボール人生の終わりは何かの始まり、それはまだ自分自身でも発見していない何かの始まりだと確信している。人生が消えていくのではない。何か違う可能性ある新しい世界への転換なんだ。
専門家は、僕の18年間はフットボールの技術を磨くために努力し身を捧げたと考えているが間違えだ。すべての瞬間、すべての流した汗、すべての眠い目の中で準備したこと、すべてのノート、試合フィルムのすべての一コマ。それはフットボールへの尊敬のためだ。僕のNFLキャリアを振り返ると、僕は疑いもなく理解出来る。僕はチームが勝利しフィールドをされるよう最大の努力をしたと。僕より能力の高い選手はたくさんいた。でも僕より試合に準備をした選手はいない。だからこそ僕は何も後悔はない。
ここにある言葉がある。テモテヘの第二の手紙
”わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした”
僕は戦いをりっぱに戦った。僕のフットボールのレースにゴールした。18年、もう其の時は来た。皆に神のご加護を、フットボールにも」
この後、Elwayや球団関係者と写真撮影し、記者との質疑応答。最後に「Omaha!」といい壇上から降りたManning。
会見はJoe Ellis CEOの話から始まり、Elway、Kubiakヘッドの話し。ビデオトリビュート。Manningの12分のスピーチ、質疑応答で1時間少しで終了。その後、会見に来ていたチームメイト、元チームメイトと記念撮影をした。BroncosはManningを契約1年残っているまま引退リストに載せる手続きを行った。Manningは正式に、選手Peyton Manningではなく、元NFLプレイヤーPeyton Manningになった。Joe Ellis CEOはManningの引退式を球団の殿堂入りセレモニーと共に行いたいと話した。通常球団殿堂もリーグの殿堂と同じ引退後5年となっているが、前例ではJohn Elwayが98年シーズンでスーパーボウル2連覇でシーズン終了。99年5月引退、球団殿堂入り、99年シーズン開幕戦のハーフタイムで殿堂入りセレモニーを行った。Broncosはスーパーボウル勝利で、NFLのキックオフゲームに登場する。Manningの引退式、球団殿堂入りセレモニーの場としては時期も舞台も最高。またColtsのオーナーJim IrsayもManningは引退したらColtsの球団の殿堂入りとなると話していた。複数球団の殿堂入りとなるとMiami&NEの殿堂入りのNick Buoniconti、Philly&GBのReggie Whiteに続き3人目となる。
なお非常に蛇足となるがManningの現役選手としての選手身分保有権はBroncosにあり、もしManningが引退撤回、またやるで!となった場合、Broncosから引退リストを外し解雇手続きをする必要がある。

制限ありFAのBrandon Marshallには2ndラウンドテンダーオファー。Marshallは約2.5ミリオンのサラリーとなり、年俸4倍増。他球団がMarshallをかっさらった場合、Broncosはドラフト2順を受け取る。守備でパスラッシャー、シャットダウンCB以外では2順テンダーではほぼ流出はなしと考えられている。
一方流出の危機ありは制限ありFA CJ Anderson。最も低いレベルのテンダーオファーでサラリーは1.67ミリオン。Andersonは他球団と交渉し契約合意となった場合、Broncosは同じ条件でAndersonと契約出来るが、Andersonと契約しない場合には見返り無し。他球団は金銭豊富であるならお金だけでAndersonを獲得出来るという、事実上FAなんちゃう?状態。なにせBroncosはキャップが厳しく出せる金が限られている。Broncosは流出なしと見ているとMike Klis。
FAのMalik JacksonにはJax、Chicago、Oaklandが手を伸ばしてくると見られている。
また事前交渉解禁の現地月曜に早速Brock Osweiler獲得に動くと予想されていたHoustonは動き無し。Osweilerには3年45ミリオンのオファーをBroncosは出していると伝えられているが、Denver Postは現地月曜の記事の中では3年39ミリオンのオファーとしている。Denver PostによるとBroncosがオファーをOseilerに出してからは両サイドの間で会話は一切なしという。

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  1. 2016/03/08(火) 19:55:54|
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