Demaryius ThomasをドラフトしたBroncosの当時のヘッドはJosh McDaniels。現在はBroncos在籍前と同じ球団、NE Patriotsで攻撃Cをつとめている。
McDanielsがThomasの死去を知ったのは知人からのメールだったという。娘をベッドで寝かしつけ、スマホを見るとメッセージが届いていたという。
Thomasの死去から一夜明けた現地金曜の朝、McDanielsは地元メディアの電話インタビューに答えた。
「彼は素晴らしい人間だった。彼が育った厳しい環境からすべてを乗り越えきた。彼の死は本当につらいものだ。彼はメールや電話を入れると、すぐに折り返してくれるような人間。彼には否定的な面は何もない。僕は今まで何千という人に会ってきたが彼のような素晴らしい人間はそうはいない」とMcDaniels。
2010年のドラフト。全体22番目でBroncosがThomasを指名するという予想はなかった。当時WR最高の評価は24番目でDallasに指名されたDez Bryantで、ThomasがBryantの前に指名されるという予想もなかった。
Thomasは不遇な子供時代を送り、母親、祖母が麻薬取引で逮捕など環境もマイナスとなっていた。さらにドラフトコンバインは足の手術を受けておりワークも出来ず。McDanielsと当時のGM Brian XandersはThomasのGeorgea大に飛び、Thomasの代理人のオフィスでThomasとの長いインタビューセッションで一日を費やした。
Geoegea大はオプションチーム。当時のThomasは3つから5つしかルートを知らなかった。
「彼と白板を使いその日は話し合いで費やしたよ」とMcDaniels。
「彼を指名することは簡単な判断だった。素晴らしいアスリートだったからね」とMcDaniels。
「彼は歴史の中でも素晴らしい人間に入る人間だ。彼の死には納得出来ない。神様は別の天使を必要とすべきだ」とMcDaniels。
現在LA RamsのフロントにいるXandersもDenverメディアの取材に答え
「子供時代の環境から、大学で成功し、そしてNFLで素晴らしいキャリアを送った。それなのになんという悲劇なのか」とXanders。
McDanielsはThomasをドラフトした10年シーズン途中にスパイ騒動もあり解雇された。McDanielsは残念ながらThomasの活躍を自分のチームの選手として見ることは出来なかった。ThomasをNFLで成功に導いたコーチは当時のWRコーチだったTyke Tolbertになる。TolbertはThomasがドラフトされた翌年、John Foxがヘッドに就任すると一緒のBroncos入り。Foxが前にヘッドを務めていたCarolinaでも二人は一緒だった。17年までBroncosに在籍。18年からはNY GiantsでWRコーチを務めている。Tolbertは代理人からThomasの死去を伝えられた。その後Peyton Manning、元CarolinaのWR Steve Smith、元Broncos RBコーチのEric Studesvilleからも死去を伝えるメールが入ったという。
「彼はすべてを持っていた。サイズ、力強さ、スピード。よいルート取り。大きな相手をミスさせる能力。そしてランゲームで相手をなぎ倒す力。私は声を失ったよ。まったく想像を上回るものだった」とTolbert。TolbertはThomasとはフィールドの中だけの関係ではなかった。
「彼がホリデーシーズンに私の家を訪ねてくれたとき、私の子供たちが彼のためにケーキを焼いたんだ。彼はクリスマスが誕生日だからね。彼は集まった皆に言うんだ。”これは俺のケーキだから誰にも触らせないよ”って。それで彼はケーキを取り分けて皆に配ってくれたんだ」とTolbert。
ジョージア警察によるとThomasは浴室のシャワールームに仰向けになり倒れていたという。その場で死亡が宣告、その後検視のため搬送されたという。
Thomasは11歳の頃、家を失った。母と祖母は麻薬売買で逮捕されたためだ。母親は刑期24年、祖母は終身刑×2、40年後に仮釈放の審査可能、というものだった。
Thomas叔父と叔母の家で少年期を過ごし、父親から多くを学びフットボールに取り組み成長していった。2015年当時のオバマ大統領は麻薬関係の受刑者46人に恩赦を与えることを発表。母親はその一人に入っていた。祖母もまた翌年に釈放が認められた。
- 2021/12/11(土) 02:19:47|
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